屠殺~Prison slave~

屠殺の小説を書きます

拾 天使の導き

 俺の精神は、もはやサッカーをまともに出来る程ではなくなってしまっていた。
 明日人のこと。
 オリオン財団のこと。
 虹花のこと。
 それらのことで、俺の頭の中はいっぱいだった。
「氷浦……」
 ベンチで死んだように皆を見ていたからだろうか。円堂さんが俺に話しかけてきた。
「なんですか、円堂さん」
「大丈夫なのか、気になって」
 すると、円堂さんは俺の隣に座る。そして、膝を抱えている俺の顔を覗き込んだ。
「なぁ、何があったんだ? 話してくれるか? 俺でよかったら、なんでもするよ」
 暖かい陽だまりのように、円堂さんは優しく俺の背中をさする。
 本当なら、その陽だまりに触れたかった。抱きしめて、慰めてほしいって言いたかった。
 だけど、もう俺は、円堂さんを信頼することなどできなかった。この人なら、きっとこの状況をなんとかしてくれるという希望なんてない。もう、こんなの、円堂さん一人で解決できる問題じゃないってわかっているからだ。
 そんなことを思うくらいなら、今だけ、子供みたいになりたかった。
 ただ自己主張すれば、その通りにしてくれる、そんな、子供になりたかった。
 でも、それと同時に、俺の中に怒りが湧いてきたんだ。
 円堂さんに、何が出来るんだ。
 オリオン財団にさえ、大事な仲間を、まるで家畜のように屠られたというのに。
 円堂さんがちゃんと彼らを見てくれたら、こんな風に彼らがモンスターになることなんてなかったはずだ。
 でも、そんなことで怒っても仕方ないってわかっている。円堂さんだってまだ子供だ。大人みたいに、何かをできるわけじゃない。
 でもだから、そんなふうに、何も出来ない子供みたいに演じて、そして、自分は皆のキャプテンだって傲慢に主張している貴方が、許せないんだ。
「……うるさい」
「氷浦?」
「うるさいって言っているんだよ!」
 俺の大声は、グラウンド中に響いた。皆が俺を見ている。そんなの関係ない。俺は、立ち上がった。
「なんだよ! オリオン財団から大切な仲間も守れないアンタが、俺に何が出来るんだよ! なんでもするって言っているけどな、じゃあアンタは人間としての心と尊厳を失った明日人たちを元に戻せるのかよ! オリオン財団の残虐な行為をなんとか出来るのかよ! 出来ないよな!! だってあんたは子供なんだから!」
 俺の目は、きっと怖いだろう。円堂さんが信じられないというように驚いている。
「貴利名、落ちついて」
 すると、折谷さんが俺を羽交い絞めにした。大人の力に、俺は抗えない。
 だけど。
「子供だからってなんでも許されると思うなよ!! なんでも従ってくれると思うなよ! そんな風にアンタら大人が外面だけ評価するから、明日人たちがあんな風になったんだよ! それに、世界中の尊厳と人権を失った子供達も救われないんだよ!!」
 今だけは、誰かのせいにしたかったんだ。
 これは、言い訳にならないかもしれない。それくらい、俺の心は壊れていたんだよ。
 それと同時に、俺は明日人たちのことが大好きだったんだよ。
 気づいてくれよ。
「そうだよな! 子供の心を屠って、自分と同じレベルに成長させて奴隷にするのが大人のやることだもんな!! アンタらこそがモンスターだよ! オリオン財団と同じレベルだよ! まぁそんなことを俺が言った所で、俺はポイって捨てられるんだろうけどな!!」
 もう、大人たちからしたら俺は、大人の言うことを聞かない悪い子なんだろうな。
 そんな子は、すぐに大人たちの手によってポイって捨てられるもんな。お払い箱行きだもんな。
 だから、この世界にはいい子ばっかりが生きていけるもんな。
 だけど、そんな悪い子が、世界ではいい子よりも得しているという事実は変わらない。大人の悪い子を、叱ってくれる人はいないんだから。

 

 

 

 結局、俺は監督たち大人に押さえつけられて、監督室に連行された。そして、趙監督から言い渡されたのが、五日間の自宅謹慎だということ。
 まぁ、あんなに暴れたらそうなるよな……。でも、これで証明された。
 この世にいるのはいい子だけで、悪い子はすぐに捨てられる存在なんだと。
 悪い子なら、人としての心を屠ってもいいんだって、大人たちも思うはずだ。
 でも、俺はこれでいい。あんないい子だらけのところに居たって、俺はきっと耐える事なんて出来ないだろう。
 そう、これでいいんだよ。
「きーちゃん、ご飯置いておくね」
 自宅謹慎日一日目。俺は布団から起きた。
 そして、部屋にはご飯が置かれている。俺はご飯を細々と食べた後、布団に戻った。そして、スマホでオリオン財団の情報を見る。オリオン財団は今日も、良い事業として範囲を拡大させている。このままだと、世界がオリオン財団に支配される日も少なくない。
 でも、俺にはもうどうでもいいことだった。
 このまま自宅謹慎が解消されても、俺はイナズマジャパンに戻る気はない。オリオン財団と戦う必要もない。
 だから、俺はさっき起きたばかりだが、もう一度寝ることにした。寝たら、全て忘れられるから。

 

 

「貴利名、起きて」
 誰かに起こされた。ゆさゆさと、俺の体をゆする振動で、俺は目を覚ます。ばーちゃんか? と思って、俺は目を開ける。するとそこには、明日人たち四人が俺の部屋に居た。
「……明日人?」
「うん、君を迎えにきたんだよ」
「迎えに?」
 意味がわからなかった。もう自宅謹慎が解消されたのか?
 いや、そんな簡単に五日間が経つわけでもないだろうし、何より明日人たちが趙監督の言うことに従うとも思えなかった。
「そう、君をレジスタンスに」

玖 狂気の王

 本題に入る前に、まず、話しておきたいことがある。それは、これから入る話の内容にとてもよく関わっていて、欠けていてはならないことだ。
 とても酷くて、愚かしくて、なおかつ懐かしい思い出(過去)だ。
 十年前、俺は____。

 

 ***

 

 空へと飛び立った明日人を見届けた俺は、宿所へと歩いた。裏路地を抜けると、まだ外では火が燃え盛っていた。消防団が必死に火を消していたが、俺はそれを気にすることも無く、ただ歩いた。
「氷浦! だいじょ……氷浦!?」
 剛陣先輩が何かを言っている。でも、俺は早く宿所に戻りたかった。だから、剛陣先輩を無視して、早歩きで宿所に戻る。
 宿所には誰もいない。
 当然だ。皆、カザニの火事を目の前にして、放っては置けない人たちばかりだから、みんな現場に向かってる。
 結局、俺はそれを手伝うこともしなかった。
 部屋に戻ると、俺はベッドの布団にくるまった。寝たいという訳でもない。ただ、安心したい。布団に少しでも頭を埋めていたら、きっと、きっと。でも、そんなの無駄だった。少し経てば、俺は涙を流していた。
 どうして。と言いたいかのように。
 現実は残酷だ。明日人が人を食べたということは変わらない。逃げても無駄なんだ。そのことに気づいた俺は、大声で泣いていた。声が枯れるほど、体の中から水分が無くなるほどに泣いた。
 だって、明日人が人を食べた。そんな、人間としておかしなことを、明日人はさも当然かのように行った。まるで、人間ではない、モンスターのように。
 なんで、なんで。
 どうしてこうなったんだ。
 何をどうすればよかったんだ。
 しばらく泣いた俺は、いつの間にか眠っていたようで、スマホの着信音で目が覚めた。
 ベッドの上に置かれていたスマホを手に取り、画面を見ると、そこには虹花の名前が書かれた電話画面になっていた。
 何も考えられなかった俺は、電話に出ることにし、スマホを耳に当てる。
「おはよう、貴利名」
「……あぁ」
 虹花は元気のようだ。どうやら、あの火事で死んではいなかった。だけど、俺の心は弾まなかった。
「どうしたの? 貴利名」
 元気の無い俺の声を聞いて、どうしたのかと虹花は思ったのだろう。どうしたのかと問いかける。
「虹花……虹花」
 それに俺は答えることなんてしないで、ただ虹花の名を呼んでいた。
「……話なら聞くよ」
 俺のこの状況を察したのか、虹花はただ俺の、名前だけを呼ぶ声をただただ聞いていた。
「ごめん……取り乱した……」
 落ち着きを取り戻した俺は、虹花に謝る。
「大丈夫。どうしたの? 何かあったの?」
 虹花はこんな失礼な俺のことを放っておくこともなく、ただ聞いてくれた。今度は、ちゃんと質問に答えよう。そうしよう。
 でも、事の顛末を話す前に、一瞬戸惑った。こんなこと、虹花に話してもいいのだろうか。朝のモチベーションは大事だ。こんなことで虹花のライブのモチベーションが下がったらどうしようかと思ったのだ。
 いや、問題はない。俺はそう決断する。
 虹花を前にして事をはぐらかしても、きっと虹花は問い詰める。多分あの子のことだ。宿所に来てまで話をしたがるだろう。
「……明日人が、明日人が……」
 虹花に何があったのかを伝えるために、言葉を紡いでいくうちに、涙がこぼれた。それでも、虹花は聞いてくれた。
「……そうだったんだ」
 一星と野坂がおかしくなったこと、明日人が人を食べたこと、それを、俺は話した。
「ごめん、こんなこと、話すようなことじゃないよな。こんなこと聞かれても、どうしようもないよな」
 何せ、人を食べたことなんて、話したってどうしようもない。不快に思ったはずだ。
「……大丈夫だよ、貴利名」
 虹花はただ大丈夫だよと声を出しているだけなのに、俺からしたら、背中をさすられているような感覚に陥った。これが、言霊の力なのだろうか。
「さっき貴利名が話してくれたことについて、話したいことがあるの。ちょっといいかな?」
「あぁ、どうしたんだ?」
「今でいい? 今から言う住所に来て欲しいんだ。話したいことがあるから」
 何か重要なことを知っているような声の表情に、俺は言ったら何かがわかるのだろうかと思い、布団から出ることにした。

 

 

 その後、俺は虹花に言われた場所まで来ていた。時間には余裕があるため、俺はゆっくりと目的地に着くことが出来た。
 送られてきた住所を確認すると、そこはホテルの一室だった。そこに虹花はいるのだろうか。とりあえず、まずはロビーに行こう。
「あの……」
 しかし、受付を前にして、なんて言えばいいのだろうか。と俺は悩んでいると、係員がやってくる。
「虹花様のお客様ですね? こちらにどうぞ」
 係員に案内されるままに、俺は虹花がいるであろう部屋の前についた。虹花、いつの間にこんなことを……。しかし、今は関係ない。俺は扉をノックする。
「虹花、入るぞ」
 一声言うと、俺はドアを開ける。部屋の中は、いかにも女の子らしい雰囲気が漂っていて、テーブルの前には虹花がいた。
「うん、来てくれたんだね」
「あぁ、何か重要なことを知っているような感じだったからな」
「あはは、鋭いんだね。待ってて、今お茶を入れるね」
 虹花がキッチンに行ってしばらくすると、ポットとコップを持った虹花がやってきて、俺と対面するようにテーブルに着く。
「それでね、話したいことはね」
 虹花はお菓子と、お茶を俺に差し出し、話を始める。
「私、こう見えて二十四歳なの」
「えっ」
 まさかの真実に、俺は仰天した。
 俺と同じ身長で、しかも二十四歳?
 俺は困惑を隠せず、ただ目の前の真実に驚いているだけだ。
「あはは、二十四歳というのは本当だよ。だって、私の成長は止まってるから、貴利名と同じ年齢に見えても仕方ないよね」
「せ、成長が止まってる?」
 さらに衝撃的な真実に、俺の頭は情報量の多さに混乱する。
「一旦落ち着こ?」
「あ、あぁ」
 ひとまず俺は、お菓子を食べて、お茶を飲み干した。お菓子の甘みとお茶の温かさが、頭を落ち着かせる。
「それで、本題に入るけど……実はね……」
 虹花が目を瞑ると、彼女の背中から、アゲハ蝶の羽ような翼が現れる。それは、野坂が翼を出した時のと同じ光景だった。
「それ……」
「うん。貴方のお友達と、同じ」
 俺にその翼を見せた虹花は、翼を閉じて話を進める。
「なんで人に翼が生えるのかはね……ルナティック・キングっていうオリオン財団の精神安定剤のせいなのよ」
「ルナティック・キング?」
 精神安定剤というには、薬の名前にしては、聞き馴染みのない名前だ。文字だけ見たら、誰だって覚えそうな名前なのに。
「表側のオリオン財団が出している、精神安定剤だよ。色んな精神病に効くということで有名なんだよ。でも、かなりの副作用があってね。こんなふうに、人をモンスターに変えちゃうの」
 モンスター。それに、俺は明日人たちのことを思い浮かべていた。確かに、人を喰らっていた明日人たちは、まさにモンスターだ。だけど、人間には変わりない。
「どうしてそれを虹花は知っているんだ?」
「……あの実験」
「あの実験?」
 俺がルナティック・キングのことを聞こうとすると、虹花は俯く。聞いてはいけないことを聞いてしまったように思えて、俺は戸惑う。しかし、虹花は頭を上げ、その詳細を俺に伝えてくれた。
「そう。私の歌声が、どうして人の心に響くのか。教えてあげる」
 虹花は話す。ルナティック・キングのことを。
 十年前、オリオン財団の決定権は、ヴァレンティン・ギリカナンの妻、イリーナ・ギリカナンのものになった。そこでイリーナが最初に行ったのは、オリオンの使徒の確保だった。ルナムーンという、以前のオリオン財団が世間に販売していた薬で。多くの精神病に効くが、大量に飲んだ時の副作用がとても危険なルナムーンと、動物のキメラなどを複合した、依存性の高いルナティック・キングを開発し、それを保護していた子供に使ったのだ。
 その保護されていた子供たちの中に、虹花は居たのだ。
 ルナティック・キングを飲んだ子供たちは、モンスターとなり、精神崩壊を起こす度にオリオン財団の職員によって殺害されてきた。虹花はその子供たちの中でも、一人だけ、人としての心を無くさなかった人物で、ルナティック・キングによって生まれた翼と身体能力で、オリオン財団から抜け出したのだ。
「……今のが全てだよ。それで、私はルナティック・キングによって成長が止まってしまった。今はどうなっているのかも分からない。もしかしたら、特定の子供にだけルナティック・キングを飲ませているに違いない。そう思った私は、散滅射を作ったんだ。ルナティック・キングが起こす作用を少しでも弱めるために、ルナティック・キングを飲んでいる人を調べて、ボランティアと称して歌を聞かせていたの」
 俺は、ただ虹花の話を聞いていた。
 そして、オリオン財団の恐ろしさを、改めて実感したような、そんな気がする。
「多くの人は、私の歌によってルナティック・キングの症状は緩和された。それでも、障害が残った人はいるけど__」
「…………」
「あとは、四人だけだったの。でも、その四人は私の歌を拒んだの」
「その四人って誰なんだ?」
「…………明日人、凌兵、悠馬、光だよ」
 虹花が話すこの四人の名を、俺は聞いたことがある。
 明日人達だ。
 まさか、あの四人が飲んでいたのは、ルナティック・キングだったのか……?
 でも、確信がなかった。俺はもうちょっと虹花の話を聞くことにした。
「じゃあ、明日人たちは、ルナティック・キングを……」
「うん。多分実験終了後に破棄されたルナティック・キングが、偶然彼らの飲んでいたルナムーンに混ざっていたんだと思う。もしかしたら、望んで飲んでいたのかもしれないし……」

2 医者もどきの名医

 バートリ・エルシェーベトというのは、ハンガリー王国の貴族にして、史上名高い連続殺人鬼。
 なのだが__どうして彼女は、血で血を洗うような人になってしまったのだろうか? 彼女が過ごしてきた環境に、悪魔崇拝者と、色情狂がいたからなのだろうか。いや、これはただの噂でしかならない_____。実際、環境になんの異常も無く、もしかしたら彼女だけがくるっていたのかもしれない。まぁ、近視結婚をなんどもなんどもしていたのが原因だとは思うけど。
「よっ、貴利名」
 呼ばれる声。それは、かつての幼馴染の声ではない。それはわかっているし、理解している。だけど、自分を呼ぶ声がすると、どうしても、悔やんでも悔やみきれないという後悔が襲ってくる。
「また勉強か? いつか頭の中、石みたいになるぞ?」
「まぁ、勉強は好きだからな。それよりお前も、遊んでて大丈夫なのか? そろそろ講義だろ? それに、必修科目も大丈夫なのか?」
 読んでいた本を閉じて、新しく出来た友人と向き合う。
 俺は大学に通っていた。それも、この大学から出ている医者も多い、有名大学だ。なんで俺はそこにいけたのか___。それは、あまり思い出したくはない。
 ___まぁ、目の前の友人にも話したことだ。それを聞いても友達で居てくれるんだから、本当に嬉しい。
 ……話を戻そう。俺は、慰謝料でこの大学の学費を一括で払って、通っている。生々しい話になることは分かっている。でも、それでも、あの人たちはおかしかったんだ。
 あの人たち、かつての故郷、伊那国島の人達は、おかしかった。
 あのときの俺はバカだった。なんで気づかなかったんだ。
 あの人たち、即身仏の他にも、今じゃ法律に触れてしまうことを、さも同然のように行っていたんだ。それが、あの島に居た人が、証拠を持って警察に相談したことが、全ての始まりだった。
 まずは大人たちの逮捕。
 そして、俺ら子供たちを騙していた、もしくは被害に遭ったとして、多額の慰謝料が支払われた。それも、大人たちの家にあった家宝や大判小判を売って、口座に振り込んでもらった。その額は、俺が今通っている大学に普通に通えるほどの大金だった。それを使って、俺はこの大学に通っている。
 そして、島は閉鎖された。もう立ち入ることのないように。そして、二度と即身仏なんてものが行われないように____。
「貴利名?」
 それは、FFIが終わってすぐのことだった。
 突然多額のお金をもらって、剛陣先輩たちは、慌てふためていた。でも、俺はこのお金の使い道をすでに決めていた。
「きりなー?」
 学費文のお金を残して、あとは高校、そしてオンライン講座のお金に回した。家は、野坂が居た施設があったから、そこで勉強の毎日だった。
「___貴利名!!」
「えっ」
「どうしたんだ貴利名。またアレか?」
 いつの間にか、俺はまた思考に浸っていたようだ。自慢じゃないが、俺は勉強に勉強を重ねた結果、聴覚や視覚、全ての感覚を無視して思考が出来るようになっていた。こういうところがあるから、周りからは「変わっている」と思われている。
「あぁ、ごめん」
「まぁ俺は慣れてるからいいけどな。ところで貴利名、ご飯食いにいかね? 今日はあの大人気ラーメン、予約しておいたぜ!」
「本当か!?」
「あぁ! 行こうぜ!」
 ちょうど昼休憩だということも忘れていたようだ。俺は友人に連れられて、食堂に向かった。

 

「ごちそうさま。ありがとな、奢ってもらって」
「いいってことよ! だって俺たち親友だろ?」
 大人気のラーメンを食べて、俺たちは満足気に寮への足を進める。だが、俺はまだ寮に帰るつもりは無い__。
「……そうだ。俺ちょっと学校に用があるから、先に帰っててくれないか?」
「ん? いいけど、忘れ物か?」
「そんな感じだ、じゃあな!」
 寮への道を引き返して、俺は学校へと向かう。学校といっても、サークル棟だ。音楽に芸術、テニスに経済と、色んなものが出揃っている。__が、勉強漬けの毎日だからなのか、サークルらしいことは出来ない。そのため、サークルという名の同好会とかしている。
 まぁ、その方が集中できるが。
『精神医学』と書かれたドアを開けると、いつもの見慣れた内装が見える。大量の本に、一つだけの質素な机にと、どう考えても一人しか入れないような狭い部屋。もちろん、サークルとして活動はしている。だが、サークル仲間がいないのだ。
「さて、と」
 俺は気持ちを整えるため、使い古された折りたたみ椅子にかけられた白い白衣を着て、机に向かい、椅子に座る。
 机の上に置かれた本棚の本との間から、ノートパソコンを取り出すと、俺はそれを開く。そのパソコンの中には、稲森明日人、灰崎凌兵、野坂悠馬、一星光のカルテがあった。カルテといっても、医師によって書かれていない、所謂非公式のカルテだ。ご覧の通り、メモ帳で簡単に記載したようなカルテだ。効率的ではないし、実用的でもない。だが、俺にはそれで十分だった。
「今週で、あの四人に関するニュースといえば、伊那国島が解体されて、国の土地になるということだな。あの四人の中では、明日人がそれに当てはまる。そして、伊那国島に居たとされる元島民に聞いたところによると、明日人は……」
 独り言をブツブツ呟きながら、俺はノートパソコンのキーボードをカタカタと打つ。多分タイピングの早さだけは、この大学一だと自負している。
 タイピングが終わると、俺はそのメモを保存する。もちろんタイトルをつけて。
 タイトルは、『偶像神』。

捌 Liquidate your sins

カニバリズム・嘔吐などの表現がございます

 

「な、なんだよ、これ…」
 俺は剛陣先輩に連れられて、朝から外に出かけていた。本来なら、これから朝食とか、トレーニングがあるんだけど、剛陣先輩曰く、そんなことをしている暇がないほど大変なことらしい。
 確かに、みんな大慌てで何かをしていたし、何かがあったのは確かだ。だけど、俺は、あんまりそれを信じていなかった。
 だって、俺は明日人と灰崎に何があったかなんて、考えたくもなかったから。無事だって思いたいし、平和でいたい。
 でも、平和なんて嘘っぱちで、言葉だけだなんてことを、俺は知ることになってしまったのは、仕方ない……ことなのか?
 人間は、生きるために多くの犠牲を払っている。
 俺が見た屠の動画も、いかに人間が残酷なのかを、間接的に教えられた。
 人間のせいで、多くの動物達が殺されて、屠られている。
 じゃあ、人間は、生まれてこなきゃ良かったのか?
 だとしたら、人間がいなかった地球は、本当に地球だったのか?
 そんなことを頭の中でぐるぐると考えていた。
 でも、いつしかそれは結論に至っていた。
 


 世界を前にして、日本を代表とする選手でも、初めての海外旅行(?)には当然ウキウキするもので、俺たちはロシアの街の一つ、カザニで観光を楽しんでいた。色んなものを食べて___。色んなことをして___。
 だけど、そのカザニは今、人類が犯した罰を精算するように、業火の炎で燃え続けている。
 俺が倒れている人の生死を確認したところ、目の前の人は死んでいて、呼吸が止まっている。
 なんで、なんで。
 わけがわからず、俺の胃は逆流して、そのまま重力に逆らえず___中身が出てしまった。朝食を食べていないから、ほとんど出なかったけど、嫌な臭いが鼻についた。
 でも、吐いている暇なんてないし___なにより、自分達は日本代表。監督は、ここで助けなかったらイナズマジャパンの評価に影響が出るって言う。___やるしかないのだろう。俺たちは今、カザニの人たちが無事に避難できるよう、誘導活動を行っていた。
 でも、人は多いし、なによりパニックになっている人がいっぱいいる。それもそうだ。町全体が燃えているんだから。この大火事を見に来た野次馬たちも、今は燃えているに違いない。
 __正直に言うと、虹花のことが心配だった。
 あの子は、ここでしばらくライブをしていくって俺に言っていた。
 もしかしたら、どこかで生きているのかもしれない。そう信じたかった___でも、現実は残酷で、俺はたった一人の幼い少女の為に時間を使っている暇なんて__________なかった。
「…えっ」
 俺の表情は、固く、石みたいになっていたに違いない。
 だって、街が、こんなに燃えているんだから。でも__俺は炎の中に包まれている、黒い羽根を見て、その顔を動かした。
 一星か____?
 野坂か___?
 そう思考が頭を支配する。
 もしかしたら、野坂の言っていた理想郷が、この大火事と関係しているのなら?
 だとしても、やりすぎだ_____。いや、やってはならない。
 黒い羽根を頼りに、俺は一星か野坂かわからない人物を、ただただ追いかけていた。街の人を避難するという仕事すらも忘れて__。
「…明日人?」
 しかし、辿りついた先で見た、黒い羽根の正体は、一星でも野坂でもなかった。
 明日人だった。
 それに、片翼しかない黒い翼を生やして___。
「………」
 明日人は、何も言わない。
 服はイナズマジャパンのユニホームのままだったけど、炎の紅さと平和の青さに、平和の青は目立たない。
「…どういうこと、だよ」
 俺は、やっと声にすることが出来た。
「なんで、お前まで翼が___」
「_____これ? これは、反逆者(レジスタンス)の証だよ」
「えっ__」
 言っている意味がわからなかった。レジスタンス? 何を言っているんだ? それがこの大火事と、なんの関係があるんだ?
レジスタンス?」
「___貴利名」
 貴利名。
 久しぶりに聞いた、明日人の、俺を呼ぶときの声。
 昔、明日人は俺を呼ぶとき、貴利名って呼んでいた。
「サッカーはさ、本来楽しいものであるべきものなんだ。なのに、大人たちは、俺たちからそれを奪っていく。楽しいという気持ちを奪っていくんだ。だから、俺は、この世界を理想郷に変えるんだよ」
「____だからって、こんなことしていいわけないだろ!? 死人だって沢山出てるのに…」
 そうだ、死人だって、大量に出ている。
 もしかしたら、明日人は死刑になって、死んじゃうかもしれないのに。幼馴染みだけど、友達の明日人が、この世からいなくなるなんて、そんなの嫌だった。
「……死人? そんなのいないよ? ねぇ貴利名。俺は今より前に、あるものを食べたよ。何を食べたと思う?」
 突然の問題に、俺の頭に困惑の文字が浮かぶ。
「……………ご飯」
「残念! 正解はー?」
 明日人は、開いていた翼を閉じた。すると___そこには、骨だけとなった人の遺体。その死体には、赤いじゅうたんが敷かれている。
「これ、人」
「そう、人だよ?」
「お前…人を食べたのか!?」
 そんな、そんな。明日人が、人を食べた。信じられない。信じたくない。人を食べるのは、悪い事だ。なんで、なんでだ。
「……違うよ? これはただ、人間が僕たちの食料になっただけ。人間も、肉とか色んなものを食べるでしょ? だったら、人間も食べられないと、おかしいよね?」
 __もう、明日人に倫理観は通じないのだろう。
 目の前の彼は彼じゃない。本当の彼は、おそらく、目の前の化物に殺された。そうであってほしかった。
「__貴利名はさ、夢とかある?」
「夢__?」
「そう、夢。俺はそんなのなかった。大人たちに利用されて、操られていた。でも、今は違う。夢を持てたんだ。世界中に、楽しいサッカーを届けるんだって。それに、夢を持つって、こんなに嬉しいことなんだね。たとえ、人間に戻れなくなったとしても、いいんだ。俺は、俺はね、自由になれたんだよ。貴利名」

漆 ツインウィング

 ロシアでライブをしていた虹花と別れて、俺は宿所に足を進める。もう外はロシアの夕暮れに包まれていて、俺も早く帰らなきゃなと思っていた。といっても、多分皆はお見舞いでしばらくは帰ってはこれないだろう。明日人からそうメッセージが送られてきたからだ。
 虹花からは、また五人分のチケットを貰ったため、今度こそあの四人を誘いたい。とは思うが、あの四人は妙に散滅射を嫌っている。明日人が言うに、散滅射は人の心を弄ぶ人たちだと、言っていた。だけど、俺にはなんで明日人たちがそんなに嫌っているのかがわからなかった。そんな、『散滅射がトラウマっていうわけじゃないのに』。
 俺が宿所の玄関を開けて、赤いじゅうたんの廊下を歩いているときのことだった。
 どこからか、この宿所の中で悲鳴が聞こえた。
 今度はなんだ? と俺は恐る恐る悲鳴に耳を澄ませる。ここから少し離れてはいる。上で、右で、と俺は階段を上って、廊下を走りながら考えた。この階は皆が部屋として使っている場所だ。ここで、何か起こったのだろうか。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 悲鳴が近い。
 俺がここだと、足を止めた先は、一星と岩戸の部屋。
 そこには一星と岩戸しかいない。だけど、悲鳴は止むことなく、少しずつ声の量が大きくなっている気がする。
「…何があったんだ」
 怖い。だけど、確かめたいという好奇心の元、俺は一星の部屋のドアを開けた。部屋は暗くて、何も見えなかった。電気がついていないのか? なんとか廊下の光をあてに、部屋の様子を見る。部屋は紙と色んなもので散らかっていて、足の踏み場もない。岩戸は綺麗好きだから、汚しても毎回毎回綺麗にしているのに、なんでこんなに散らかっているんだ? 
 そう思っていると、部屋の中心に何かがいるのを見つけた。
 一星だ。
 頭を両手で抱えて、地面に頭を伏せている。
「…いち、ほし?」
 何があったんだ。怖い物でも見たのか?
 そう俺は、一星に手を伸ばす。だけど、その手は払われる。
 俺が驚いていると、目の前に黒い鳥の羽根が見えた。
 カラスか? そう思っていたが、それは違ったようだ。
 突然部屋の窓が開いて、台風のような強風が俺に襲い掛かる。ドアは開いて、中に入っていた物が廊下に飛ばされる。俺が顔を守っていた腕を降ろすと、一星が立っていた。
 廊下の光でわかったことだが、なんと一星には、背中に大きな黒色の翼を生やしていた。それは両翼とも傷ついて、羽の形になっていない。それでいて、まるで一星の心を表しているようだった。
「ま、待てよ!」
 一星は、俺に見向きもしないで、開かれた窓に向かって歩き出した。そして壁に足をかけた。まさか、ここから飛び下りようとしているのか!?
「……………」
 一星は何も言わない。
 すると一星は、大きく翼を広げたかと思えば、窓から外に行ってしまった。
「……一星?」
 なんで、あんなことに?
 なんで翼が生えたんだ?
 と、とにかくこのことを誰かに相談しないと。
 そう俺は一星の部屋を後にしようとした時、足元にガラスのようなものが触れた。
「これは、明日人が飲んでいた瓶…?」
 手に取って拾うと、それは明日人がいつも飲んでいる、薬のようなものだった。…もしかして、岩戸と一星のうちの誰かが、これを飲んでいたのか? どちらも、明日人が誘えば飲んでしまえそうな人たちだ。可能性は二人共ある。
「ひ、氷浦くん?」
 後ろから声をかけられた。岩戸だ。ちょうどいいし、この瓶のことを聞いてみるか。
「あぁ岩戸か…帰ってたのか?」
「マネージャーさんたちに皆さん、みんなもう帰っているでゴス。ところで氷浦くん、ここで何をしていたでゴスか?」
「いや、まぁな」
「それよりも凄く散らかっているでゴス」
 …確かに、散らかっているな。どうやって説明すればいいんだろう。一星に翼が生えて、その風のせいで散らかっているなんて言っても、信じて貰えないだろう。なんせ当事者はこの俺しかいない。
「あとで一緒に掃除しような。ところで岩戸、この瓶に見覚えはあるか?」
「あ、それは一星くんがいつも飲んでいた飲み物でゴス」
「そうなのか、岩戸は飲んでいないのか」
「なんだか一星くん、その飲み物を買ってはすぐに飲み干しちゃうんでゴスよ…」
 …なんだか、保健体育で習った薬物中毒の人みたいだな…
「とにかく、これを掃除しよう。目にあまるからな…」
「うんでゴス。いま箒とか持ってくるでゴス」
「あぁ、頼むよ」
 岩戸が箒とかを持ってきに、階段を下りている間、俺は散らばったものの片づけを行っていた。文房具、紙、それぞれの品。多くの物が散らばっていた。
 それにしても、なんで一星に翼が生えたんだ?
 いや、人間に翼が生えるはずなんて、ないじゃないか。
 もしかしたら俺の幻かもしれないし、起きたら一星も元に戻っていて、いつものように『氷浦さん』って呼んでくれるはず…。
「きゃあああああああああああああああああああああっ!」
 そう思っていると、食堂から杏奈さんの声が聞こえた。
 今度はなんだ!?
 後ろから声をかける岩戸を無視して、(ごめん…)俺は急いで食堂に向かった。嫌な予感がしてままならないのだ。もしかしたら、今度は西蔭みたいに、杏奈さんもあぁなってしまうのかもしれない。それだけは、どうしても避けたかった。
「杏奈さん!」
 厨房のドアを勢いよくあける。だけど、そこにあったのは、全く別の展開だった。
 肝心の杏奈さんは、地面にへたり込んでいて、ずっと一点だけを見つめている。俺も同じように、杏奈さんの向いている方向を向く。
 そこには、翼の生やした一星が立っていた。
 その前には、野坂。
 そして、野坂の右手には、包丁が握られて、それは一星の腹目がけて刺さっていた。
 俺は、その光景に目を見開いて、ただ見つめる事しかできなかった。本来なら、一刻も早く杏奈さんをここから逃がしてあげたかったが、それが、思うように足が動かないのだ。
「…ふ、ふっふっふっふっふ…」
 すると、野坂が乾いた笑いを声に出す。
「そうなんだね…君も、やっと同じようになれたん、だね」
 野坂が包丁を一星から抜いて、投げ捨てる。俺が大丈夫なのかと一星に声をかけようとしたら、なんと一星の体は、まるで何事もなかったかのように傷が癒えていた。
 そして、
 そして、
 野坂も、
 背中から黒い翼を出した。
「一星くん、一緒に行こうよ。僕らで、理想郷へ向かうんだよ」
「野坂…お前何言っているんだよ!」
 野坂を止めようとして、俺は歩み寄る。だけど、野坂はひとつ俺を睨みつけると、すぐに一星に向き直した。
「……行こう、か」
 一星の手を握って、野坂は一星を連れて厨房から出る。背中に生えた翼さえなかったら、微笑ましかったのに。
 …どうして。なんで、野坂まで?
「あ、杏奈さん」
 俺は、杏奈さんに無事かどうかを確認する。
「え、えぇ…私は何もされてないわ…」
 どうやら、杏奈さんには、傷一つないようだ。よかった…。

 

「おい! 起きろ氷浦!」
 体を揺さぶられて、俺は目を覚ます。目の前には剛陣先輩が。昔の記憶をたどってみる。俺は、昨日の出来事でどっと疲れて、(あと掃除)シャワーも浴びずに寝てしまった。窓の光を見ると、朝になっていた。本来なら気持ちの良い朝なのに、どうにも不吉な予感がする。
「え、剛陣先輩?」
「大変なんだよ! 明日人に、灰崎が…とにかく大変なんだよ!」


 

 

陸 逃げ道を辿る

『ごめんね、返信気づかなかった』
 ごめんの可愛らしい猫のスタンプの前に、メッセージが書かれる。それに、俺は思わずクスッと笑う。笑ってはいけないが。俺は今、夕食を食べ終え、少しの自由時間に虹花とメッセージアプリで会話している。虹花は通知に気がつかなかったことに申し訳なさそうに、俺に返信を送る。
『ううん、虹花も忙しいだろ?』
『まぁそうだけど…明日ライブだよ? ちゃんと誘えた?』
『うーん、それはちょっと難しいかな。皆嫌がってたからさ。ごめん』
『そっか…』
 俺は虹花に、四人をライブに誘えなかったことを謝る。
『みんな、名前すら聞きたくないんだって』
『そう…』
『嫌な話をしちゃったな。明日ライブなのに』
『ううん、大丈夫。貴利名だけでもいいから、ライブに来て欲しいな』
『わかった。ライブ楽しみにしてる』
 メッセージを送信し、俺はスマホを閉じる。結局、あの後ライブに行かないかと誘ってみたものの、四人とも行きたくないの一点張りだった。
 机の引き出しの中にある、五枚のチケットのうち四枚は、今日のうちに誰かに渡してしまおう。剛陣先輩に渡したら、喜ぶかな。
 俺は残りの四枚のチケットをジャージのポケットにしまい込み、仲間のうちの誰かにこのチケットを渡そうと、部屋を出る。……それにしても、何だか騒がしいな。いつもはこんな感じじゃないのに。そしてなんだ? この赤いのは…まるで花のように咲いている赤い液体を、俺は辿っていく。
 _______嘘だろ。
 ロビーのところで、西蔭が倒れてる。それも、床に赤い液体を流しながら。そこでようやく俺は、その赤い液体が『血』だということに気づく。
 俺はその場に立ち尽くして、何も動けずにいた。体に力が入らない。足がガクガクしている。ついには、地面に膝をついてしまった。
 どうしよう。助けを呼ばないと。
 でも、体に力が入らない。どうすればいいんだ。
 そ、そうだ。
 虹花に、どうすればいいのかを聞いてみよう。いや、聞いたところでどうするんだ。それに、いきなりこんなことを説明されても、虹花が困るだけだ。でも、俺の手はスマホを取り出していて、立ち上げている所まで入っていた。
 ____そうだ。
 救急車を呼べばいいじゃないか!
 そう考えると、あとは早かった。119と数字を押して、電話をかける。
『あ、病院ですか? 実は、仲間の一人が宿所で倒れてて』
『落ち着いてください。場所、状況を説明してください』
『はい……場所は…』

 


『貴利名…大丈夫?』
 病院の手術室の前の椅子に座って、手術が終わるのを待っていると、事を聞いた虹花がメッセージアプリから心配そうに声をかけた。目の前で仲間が血を流しながら倒れているという事実から、まだ心を受け入れさせることなどできず、俺は指先を震わせながら返信の言葉を入力する。
『あぁ…まだ、怖い』
『……辛かったら、このアルバムに入っている曲を聞いて。辛い気持ちが少しは晴れるかも』
 虹花は、幽玄、と書かれたアルバムを提示し、俺にそれを開くように指示する。それを、震える手でタップし、曲を小さな音量で流す。そこに流れる歌は、悲しげで、儚げで、それでも美しい、色だった。
「氷浦!」
 俺を呼ぶ明日人の声が聞こえて、俺は指先を慌てて曲を停止した。散滅射の曲を流してたら、明日人が嫌がるから。
「あ、明日人…」
「西蔭が倒れたって…」
「あぁ…」
 なんとか明日人に状況を伝えようとするけど、俺の口はこれ以上動かなかった。
「氷浦?」
 突然のことに頭がついていかず、しまいに放心状態になっていた俺の頭に、明日人の声が響く。
「あぁ、ごめん。少しぼーっとしてた」
「本当に大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ」
「とりあえずみんなのところに行こ? 皆西蔭が病院に運ばれたって聞いて来てるんだよ」
 明日人は恐らく、俺を心配しているのだろう。だけど、俺には皆のところには行きたくないという気持ちがあった。西蔭の手術が終わるまで、そばに居たいというのもあったし、何より一人になりたかった。
「氷浦さん、稲森さん」
 俺が明日人の誘いを断ろうとした時だ。後ろのドアが開いて、医者が出てきた
「手術が終わりました。西蔭さんの命に別状はありませんよ」
「良かった…」
 西蔭が無事なことに、俺と明日人は胸を撫で下ろす。
「でも、一体何が…?」
 すると、明日人が何があったのかを俺に尋ねてきた。でも、俺だって知らない。廊下に出たら、いきなり西蔭が倒れていたのだから。
「それは、俺にもわからなくて…」
「まさか、氷浦がやったわけじゃないよね」
「そんなわけないだろ」
 明日人の質問に、俺は冗談のように返す。万が一俺がやったにしても、動機がないだろ。事件は、動機がなきゃ始まらない。まぁ、今のところ事件なんて起きて欲しくないが。

 

 翌日、俺は虹花に言われたとおり、ライブに来ていた。お見舞いは既に行っていた。西蔭が言うに、あまり覚えていないとのことだ。皆はそれを聞いて困惑していた。だって、もし誰かに刺されたなら、顔くらいは見えたはずだ。それなのに、覚えていない。何かがおかしかった。
 ライブはというと、とても楽しかった。今度は光るペンというか、サイリウムを持ってきたから、虹花も俺も、凄く楽しめたと思う。もし、明日人たちと行けたのなら、もっと楽しかっただろうに。何をそんなに散滅射が嫌なのかがわからなかった。
 ライブも終わったところで、俺は虹花に声をかけられた。また、聞き込みだろう。あの四人の。
「あの四人って、おかしいと思わない?」
 最初に虹花が言った言葉は、あの四人はおかしい。とのことだった。何が、おかしいのだろうか。
「何がおかしいんだ?」
 俺が虹花に訊ねてみると、虹花は言う。
「まぁ、あの四人って、おかしいのよ。本来ならあるはずのない個性を、無理やり出している感じ。人間なら、本来持つ個性を活かして、生きていくのにね。まぁ、それが出せない人は、いっぱいいたよ」
「無理やり、か」
 正直、虹花が何を言っているのか、俺には到底理解できない事だった。音楽をやっている人は、みんなこうなのだろうか? いや、虹花だけだ。でも、四人がおかしいって、あいつらはそんなにおかしいようには見えない。だって、あいつらはあいつらだ。
「やっぱり、一番怖いのは何かって言うと、逃げることだよ。いや、逃げてもいいよ? ただ、逃げる方法が違ってたら、もしかしたら道を踏み外すかもしれない。でも、それくらい辛くて、心が逃げたがってる。でも、辛い時って、正常な判断ができなくて、いつの間にか道を踏み外してたりするんだ。ね、怖いでしょ?」
 虹花の長い文章を、俺は耳にする。それが一明日人たちとなんの関係があるのか。
 逃げるって、そんなに怖いことなのか?

伍 激情のレクイエム

 進路、どうしようかな…折谷さんは、自由にしていいって言っていたけど、どうしたものか…
 俺は、今日の朝に行われた進路希望調査で、どの高校に行くか、どの職業につくかを話された。
「俺の家系は医者だから、親は医者になれって言われるんだろうなぁ…」
 俺の親は、伊那国島で唯一の病院の医者と、看護師をやっている。でも、俺は勉強そこまで好きじゃないし、今はサッカーをしていたい。ばあちゃんも、無理に医者にならなくていいって言ってるし。
 進路希望調査のあとは練習で、俺は進路のことで集中できないでいた。まだ二年生だから考えなくてもいいぜと剛陣先輩は言うけど、俺は心配だ。今も、これからも。
「氷浦、あの時はごめん。いきなり取り乱しちゃって」
 休憩をしていると、明日人が俺に話しかけてきた。昨日、取り乱したことで謝ってきた。俺は別に構わなかった。明日人が行きたくないというのなら、俺は無理強いなどしない。虹花には悪いけど。
「ううん、いいんだ」
「実は俺、散滅射が苦手なんだよ。なんというか、過去に散滅射で色んなことがあって」
「それって、どういうことだ?」
 散滅射にトラウマってことなのか? 曲が怖いとかか? だけど俺は、散滅射になぜ明日人がトラウマになるかが分からなかった。散滅射は、普通にいい音楽グループだとは思うのだが。
「……なんというか、俺に問いかけてくるんだ。洗脳みたいに」
「そんな、散滅射はそんな」
「氷浦は、あの音楽がおかしいとは思わないの?」
 おかしい。別に俺はそんなこと思わなかった。確かに何かを問いかけてくる感じはあったけど、それ以上のことはなかった。
「散滅射は、狂っているんだよ。音楽を楽しんでいるフリして、人の心を弄んでいるんだよ」
「そんな、確かに実話を元にしているところはあるけど、俺は思ったんだ。散滅射は、そんな人の心を弄ぶような奴らじゃない」
「じゃあ、氷浦はあの人たちに狂わされているんだよ!」
「そんなことはない!」
 俺は、狂ってなんかない。散滅射の曲は、普通にいいものばかりだったし、そんな人の心を持ってして、楽しむような奴らじゃなかった。現に、虹花はそうだ。本当にサッカーを楽しむのと同じように、音楽を楽しんでいる。
「とにかく、これを聞いてよ」
 俺はスマホを差し出し、ダウンロードしていた曲を明日人に流す。
「氷浦…なんてもの流しているんだよ! 嫌だ! 俺はそんな歌聞きたくない!」
「俺は狂ってなんかない! それを、この歌が証明してくれるはずだ!」
 明日人は耳を塞いで、歌を聞かないようにしている。何が明日人の言う狂っているの定義なのかは分からない。だけど、俺は狂ってなんか無いはずだ。
「やめて、やめて、やめてよ!」
 明日人は俺に手を出してきた。俺は思わずそれを避けたが、代わりにスマホを落としてしまった。
「お願い、もうやめて! 俺に問いかけてこないでよ! 俺は何も悪いことなんかしてない!」
 俺は錯乱する明日人を見て、音楽を止める。しかし、明日人は混乱するばかりで、落ち着く様子が見られない。それに、俺は呆然としていた。
「明日人、なにしているんだ!」
「落ち着け!」
 するとそこに、円堂さんと剛陣先輩がやってきて、明日人の腕を掴む。だけど、明日人はその掴む手を振りほどこうとさらに暴れる。
「明日人、落ち着くんだ!」
 さらに折谷さんまでやってきて、状況は混乱していった。するべきではないことはわかってる。でも、俺も何かしようと、明日人の部屋に駆け込んだ。確かここに、明日人が飲んでいた飲み物があったはず…。悪いながらも、俺は机の引き出しを空け、その中から一本取り出した。そう、俺が苦いと言ったあの飲み物だ。
「明日人!」
 それを持って、俺は急いで明日人の元に行く。しかし、そこに明日人はいなかった。
「あれ、明日人…?」
「稲森くんなら、今頃医務室でゴスよ…」
「ゴーレム…明日人なら大丈夫だ。きっと」
 ゴーレム、岩戸高志は心配そうにしている。それを見て、俺は岩戸を安心させる。
「じゃあ、俺は医務室に」
 岩戸から明日人の居場所を聞いて、俺は医務室に向かう。
「明日人!」
「あ、貴利名。明日人は大丈夫だよ」
 折谷の隣で、明日人は医務室のベッドで眠っており、俺は安心する。
「そうですか…」
「ところで貴利名。それは?」
「あ、これは明日人がいつも飲んでいた飲み物で」
「いつも?」
 あれ、折谷さんの雰囲気が変わったような…俺なんか変なこと言ったか…?
「いいかい貴利名。もし明日人がそれを飲んでいたら、ひとつ釘を指しておいてね。健康面も大事だからね」
「あ、はい…」
「それは僕が預かっておくよ」
 折谷さんに言われた通りに、俺は飲み物を渡し、グラウンドに戻った。落ちていたスマホを拾うと、ひとつ通知が入っていた。虹花からのメッセージだ。今大丈夫? という文字の下には、猫のイラストが書かれたスタンプがあった。猫好きなのかな。
『虹花、今いいか?』
 スタンプに返信してみる。だけど、返信も来ないし既読もつかない。忙しいのだろう。