屠殺~Prison slave~

屠殺の小説を書きます

玖 狂気の王

 本題に入る前に、まず、話しておきたいことがある。それは、これから入る話の内容にとてもよく関わっていて、欠けていてはならないことだ。
 とても酷くて、愚かしくて、なおかつ懐かしい思い出(過去)だ。
 十年前、俺は____。

 

 ***

 

 空へと飛び立った明日人を見届けた俺は、宿所へと歩いた。裏路地を抜けると、まだ外では火が燃え盛っていた。消防団が必死に火を消していたが、俺はそれを気にすることも無く、ただ歩いた。
「氷浦! だいじょ……氷浦!?」
 剛陣先輩が何かを言っている。でも、俺は早く宿所に戻りたかった。だから、剛陣先輩を無視して、早歩きで宿所に戻る。
 宿所には誰もいない。
 当然だ。皆、カザニの火事を目の前にして、放っては置けない人たちばかりだから、みんな現場に向かってる。
 結局、俺はそれを手伝うこともしなかった。
 部屋に戻ると、俺はベッドの布団にくるまった。寝たいという訳でもない。ただ、安心したい。布団に少しでも頭を埋めていたら、きっと、きっと。でも、そんなの無駄だった。少し経てば、俺は涙を流していた。
 どうして。と言いたいかのように。
 現実は残酷だ。明日人が人を食べたということは変わらない。逃げても無駄なんだ。そのことに気づいた俺は、大声で泣いていた。声が枯れるほど、体の中から水分が無くなるほどに泣いた。
 だって、明日人が人を食べた。そんな、人間としておかしなことを、明日人はさも当然かのように行った。まるで、人間ではない、モンスターのように。
 なんで、なんで。
 どうしてこうなったんだ。
 何をどうすればよかったんだ。
 しばらく泣いた俺は、いつの間にか眠っていたようで、スマホの着信音で目が覚めた。
 ベッドの上に置かれていたスマホを手に取り、画面を見ると、そこには虹花の名前が書かれた電話画面になっていた。
 何も考えられなかった俺は、電話に出ることにし、スマホを耳に当てる。
「おはよう、貴利名」
「……あぁ」
 虹花は元気のようだ。どうやら、あの火事で死んではいなかった。だけど、俺の心は弾まなかった。
「どうしたの? 貴利名」
 元気の無い俺の声を聞いて、どうしたのかと虹花は思ったのだろう。どうしたのかと問いかける。
「虹花……虹花」
 それに俺は答えることなんてしないで、ただ虹花の名を呼んでいた。
「……話なら聞くよ」
 俺のこの状況を察したのか、虹花はただ俺の、名前だけを呼ぶ声をただただ聞いていた。
「ごめん……取り乱した……」
 落ち着きを取り戻した俺は、虹花に謝る。
「大丈夫。どうしたの? 何かあったの?」
 虹花はこんな失礼な俺のことを放っておくこともなく、ただ聞いてくれた。今度は、ちゃんと質問に答えよう。そうしよう。
 でも、事の顛末を話す前に、一瞬戸惑った。こんなこと、虹花に話してもいいのだろうか。朝のモチベーションは大事だ。こんなことで虹花のライブのモチベーションが下がったらどうしようかと思ったのだ。
 いや、問題はない。俺はそう決断する。
 虹花を前にして事をはぐらかしても、きっと虹花は問い詰める。多分あの子のことだ。宿所に来てまで話をしたがるだろう。
「……明日人が、明日人が……」
 虹花に何があったのかを伝えるために、言葉を紡いでいくうちに、涙がこぼれた。それでも、虹花は聞いてくれた。
「……そうだったんだ」
 一星と野坂がおかしくなったこと、明日人が人を食べたこと、それを、俺は話した。
「ごめん、こんなこと、話すようなことじゃないよな。こんなこと聞かれても、どうしようもないよな」
 何せ、人を食べたことなんて、話したってどうしようもない。不快に思ったはずだ。
「……大丈夫だよ、貴利名」
 虹花はただ大丈夫だよと声を出しているだけなのに、俺からしたら、背中をさすられているような感覚に陥った。これが、言霊の力なのだろうか。
「さっき貴利名が話してくれたことについて、話したいことがあるの。ちょっといいかな?」
「あぁ、どうしたんだ?」
「今でいい? 今から言う住所に来て欲しいんだ。話したいことがあるから」
 何か重要なことを知っているような声の表情に、俺は言ったら何かがわかるのだろうかと思い、布団から出ることにした。

 

 

 その後、俺は虹花に言われた場所まで来ていた。時間には余裕があるため、俺はゆっくりと目的地に着くことが出来た。
 送られてきた住所を確認すると、そこはホテルの一室だった。そこに虹花はいるのだろうか。とりあえず、まずはロビーに行こう。
「あの……」
 しかし、受付を前にして、なんて言えばいいのだろうか。と俺は悩んでいると、係員がやってくる。
「虹花様のお客様ですね? こちらにどうぞ」
 係員に案内されるままに、俺は虹花がいるであろう部屋の前についた。虹花、いつの間にこんなことを……。しかし、今は関係ない。俺は扉をノックする。
「虹花、入るぞ」
 一声言うと、俺はドアを開ける。部屋の中は、いかにも女の子らしい雰囲気が漂っていて、テーブルの前には虹花がいた。
「うん、来てくれたんだね」
「あぁ、何か重要なことを知っているような感じだったからな」
「あはは、鋭いんだね。待ってて、今お茶を入れるね」
 虹花がキッチンに行ってしばらくすると、ポットとコップを持った虹花がやってきて、俺と対面するようにテーブルに着く。
「それでね、話したいことはね」
 虹花はお菓子と、お茶を俺に差し出し、話を始める。
「私、こう見えて二十四歳なの」
「えっ」
 まさかの真実に、俺は仰天した。
 俺と同じ身長で、しかも二十四歳?
 俺は困惑を隠せず、ただ目の前の真実に驚いているだけだ。
「あはは、二十四歳というのは本当だよ。だって、私の成長は止まってるから、貴利名と同じ年齢に見えても仕方ないよね」
「せ、成長が止まってる?」
 さらに衝撃的な真実に、俺の頭は情報量の多さに混乱する。
「一旦落ち着こ?」
「あ、あぁ」
 ひとまず俺は、お菓子を食べて、お茶を飲み干した。お菓子の甘みとお茶の温かさが、頭を落ち着かせる。
「それで、本題に入るけど……実はね……」
 虹花が目を瞑ると、彼女の背中から、アゲハ蝶の羽ような翼が現れる。それは、野坂が翼を出した時のと同じ光景だった。
「それ……」
「うん。貴方のお友達と、同じ」
 俺にその翼を見せた虹花は、翼を閉じて話を進める。
「なんで人に翼が生えるのかはね……ルナティック・キングっていうオリオン財団の精神安定剤のせいなのよ」
「ルナティック・キング?」
 精神安定剤というには、薬の名前にしては、聞き馴染みのない名前だ。文字だけ見たら、誰だって覚えそうな名前なのに。
「表側のオリオン財団が出している、精神安定剤だよ。色んな精神病に効くということで有名なんだよ。でも、かなりの副作用があってね。こんなふうに、人をモンスターに変えちゃうの」
 モンスター。それに、俺は明日人たちのことを思い浮かべていた。確かに、人を喰らっていた明日人たちは、まさにモンスターだ。だけど、人間には変わりない。
「どうしてそれを虹花は知っているんだ?」
「……あの実験」
「あの実験?」
 俺がルナティック・キングのことを聞こうとすると、虹花は俯く。聞いてはいけないことを聞いてしまったように思えて、俺は戸惑う。しかし、虹花は頭を上げ、その詳細を俺に伝えてくれた。
「そう。私の歌声が、どうして人の心に響くのか。教えてあげる」
 虹花は話す。ルナティック・キングのことを。
 十年前、オリオン財団の決定権は、ヴァレンティン・ギリカナンの妻、イリーナ・ギリカナンのものになった。そこでイリーナが最初に行ったのは、オリオンの使徒の確保だった。ルナムーンという、以前のオリオン財団が世間に販売していた薬で。多くの精神病に効くが、大量に飲んだ時の副作用がとても危険なルナムーンと、動物のキメラなどを複合した、依存性の高いルナティック・キングを開発し、それを保護していた子供に使ったのだ。
 その保護されていた子供たちの中に、虹花は居たのだ。
 ルナティック・キングを飲んだ子供たちは、モンスターとなり、精神崩壊を起こす度にオリオン財団の職員によって殺害されてきた。虹花はその子供たちの中でも、一人だけ、人としての心を無くさなかった人物で、ルナティック・キングによって生まれた翼と身体能力で、オリオン財団から抜け出したのだ。
「……今のが全てだよ。それで、私はルナティック・キングによって成長が止まってしまった。今はどうなっているのかも分からない。もしかしたら、特定の子供にだけルナティック・キングを飲ませているに違いない。そう思った私は、散滅射を作ったんだ。ルナティック・キングが起こす作用を少しでも弱めるために、ルナティック・キングを飲んでいる人を調べて、ボランティアと称して歌を聞かせていたの」
 俺は、ただ虹花の話を聞いていた。
 そして、オリオン財団の恐ろしさを、改めて実感したような、そんな気がする。
「多くの人は、私の歌によってルナティック・キングの症状は緩和された。それでも、障害が残った人はいるけど__」
「…………」
「あとは、四人だけだったの。でも、その四人は私の歌を拒んだの」
「その四人って誰なんだ?」
「…………明日人、凌兵、悠馬、光だよ」
 虹花が話すこの四人の名を、俺は聞いたことがある。
 明日人達だ。
 まさか、あの四人が飲んでいたのは、ルナティック・キングだったのか……?
 でも、確信がなかった。俺はもうちょっと虹花の話を聞くことにした。
「じゃあ、明日人たちは、ルナティック・キングを……」
「うん。多分実験終了後に破棄されたルナティック・キングが、偶然彼らの飲んでいたルナムーンに混ざっていたんだと思う。もしかしたら、望んで飲んでいたのかもしれないし……」