屠殺~Prison slave~

屠殺の小説を書きます

漆 ツインウィング

 ロシアでライブをしていた虹花と別れて、俺は宿所に足を進める。もう外はロシアの夕暮れに包まれていて、俺も早く帰らなきゃなと思っていた。といっても、多分皆はお見舞いでしばらくは帰ってはこれないだろう。明日人からそうメッセージが送られてきたからだ。
 虹花からは、また五人分のチケットを貰ったため、今度こそあの四人を誘いたい。とは思うが、あの四人は妙に散滅射を嫌っている。明日人が言うに、散滅射は人の心を弄ぶ人たちだと、言っていた。だけど、俺にはなんで明日人たちがそんなに嫌っているのかがわからなかった。そんな、『散滅射がトラウマっていうわけじゃないのに』。
 俺が宿所の玄関を開けて、赤いじゅうたんの廊下を歩いているときのことだった。
 どこからか、この宿所の中で悲鳴が聞こえた。
 今度はなんだ? と俺は恐る恐る悲鳴に耳を澄ませる。ここから少し離れてはいる。上で、右で、と俺は階段を上って、廊下を走りながら考えた。この階は皆が部屋として使っている場所だ。ここで、何か起こったのだろうか。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 悲鳴が近い。
 俺がここだと、足を止めた先は、一星と岩戸の部屋。
 そこには一星と岩戸しかいない。だけど、悲鳴は止むことなく、少しずつ声の量が大きくなっている気がする。
「…何があったんだ」
 怖い。だけど、確かめたいという好奇心の元、俺は一星の部屋のドアを開けた。部屋は暗くて、何も見えなかった。電気がついていないのか? なんとか廊下の光をあてに、部屋の様子を見る。部屋は紙と色んなもので散らかっていて、足の踏み場もない。岩戸は綺麗好きだから、汚しても毎回毎回綺麗にしているのに、なんでこんなに散らかっているんだ? 
 そう思っていると、部屋の中心に何かがいるのを見つけた。
 一星だ。
 頭を両手で抱えて、地面に頭を伏せている。
「…いち、ほし?」
 何があったんだ。怖い物でも見たのか?
 そう俺は、一星に手を伸ばす。だけど、その手は払われる。
 俺が驚いていると、目の前に黒い鳥の羽根が見えた。
 カラスか? そう思っていたが、それは違ったようだ。
 突然部屋の窓が開いて、台風のような強風が俺に襲い掛かる。ドアは開いて、中に入っていた物が廊下に飛ばされる。俺が顔を守っていた腕を降ろすと、一星が立っていた。
 廊下の光でわかったことだが、なんと一星には、背中に大きな黒色の翼を生やしていた。それは両翼とも傷ついて、羽の形になっていない。それでいて、まるで一星の心を表しているようだった。
「ま、待てよ!」
 一星は、俺に見向きもしないで、開かれた窓に向かって歩き出した。そして壁に足をかけた。まさか、ここから飛び下りようとしているのか!?
「……………」
 一星は何も言わない。
 すると一星は、大きく翼を広げたかと思えば、窓から外に行ってしまった。
「……一星?」
 なんで、あんなことに?
 なんで翼が生えたんだ?
 と、とにかくこのことを誰かに相談しないと。
 そう俺は一星の部屋を後にしようとした時、足元にガラスのようなものが触れた。
「これは、明日人が飲んでいた瓶…?」
 手に取って拾うと、それは明日人がいつも飲んでいる、薬のようなものだった。…もしかして、岩戸と一星のうちの誰かが、これを飲んでいたのか? どちらも、明日人が誘えば飲んでしまえそうな人たちだ。可能性は二人共ある。
「ひ、氷浦くん?」
 後ろから声をかけられた。岩戸だ。ちょうどいいし、この瓶のことを聞いてみるか。
「あぁ岩戸か…帰ってたのか?」
「マネージャーさんたちに皆さん、みんなもう帰っているでゴス。ところで氷浦くん、ここで何をしていたでゴスか?」
「いや、まぁな」
「それよりも凄く散らかっているでゴス」
 …確かに、散らかっているな。どうやって説明すればいいんだろう。一星に翼が生えて、その風のせいで散らかっているなんて言っても、信じて貰えないだろう。なんせ当事者はこの俺しかいない。
「あとで一緒に掃除しような。ところで岩戸、この瓶に見覚えはあるか?」
「あ、それは一星くんがいつも飲んでいた飲み物でゴス」
「そうなのか、岩戸は飲んでいないのか」
「なんだか一星くん、その飲み物を買ってはすぐに飲み干しちゃうんでゴスよ…」
 …なんだか、保健体育で習った薬物中毒の人みたいだな…
「とにかく、これを掃除しよう。目にあまるからな…」
「うんでゴス。いま箒とか持ってくるでゴス」
「あぁ、頼むよ」
 岩戸が箒とかを持ってきに、階段を下りている間、俺は散らばったものの片づけを行っていた。文房具、紙、それぞれの品。多くの物が散らばっていた。
 それにしても、なんで一星に翼が生えたんだ?
 いや、人間に翼が生えるはずなんて、ないじゃないか。
 もしかしたら俺の幻かもしれないし、起きたら一星も元に戻っていて、いつものように『氷浦さん』って呼んでくれるはず…。
「きゃあああああああああああああああああああああっ!」
 そう思っていると、食堂から杏奈さんの声が聞こえた。
 今度はなんだ!?
 後ろから声をかける岩戸を無視して、(ごめん…)俺は急いで食堂に向かった。嫌な予感がしてままならないのだ。もしかしたら、今度は西蔭みたいに、杏奈さんもあぁなってしまうのかもしれない。それだけは、どうしても避けたかった。
「杏奈さん!」
 厨房のドアを勢いよくあける。だけど、そこにあったのは、全く別の展開だった。
 肝心の杏奈さんは、地面にへたり込んでいて、ずっと一点だけを見つめている。俺も同じように、杏奈さんの向いている方向を向く。
 そこには、翼の生やした一星が立っていた。
 その前には、野坂。
 そして、野坂の右手には、包丁が握られて、それは一星の腹目がけて刺さっていた。
 俺は、その光景に目を見開いて、ただ見つめる事しかできなかった。本来なら、一刻も早く杏奈さんをここから逃がしてあげたかったが、それが、思うように足が動かないのだ。
「…ふ、ふっふっふっふっふ…」
 すると、野坂が乾いた笑いを声に出す。
「そうなんだね…君も、やっと同じようになれたん、だね」
 野坂が包丁を一星から抜いて、投げ捨てる。俺が大丈夫なのかと一星に声をかけようとしたら、なんと一星の体は、まるで何事もなかったかのように傷が癒えていた。
 そして、
 そして、
 野坂も、
 背中から黒い翼を出した。
「一星くん、一緒に行こうよ。僕らで、理想郷へ向かうんだよ」
「野坂…お前何言っているんだよ!」
 野坂を止めようとして、俺は歩み寄る。だけど、野坂はひとつ俺を睨みつけると、すぐに一星に向き直した。
「……行こう、か」
 一星の手を握って、野坂は一星を連れて厨房から出る。背中に生えた翼さえなかったら、微笑ましかったのに。
 …どうして。なんで、野坂まで?
「あ、杏奈さん」
 俺は、杏奈さんに無事かどうかを確認する。
「え、えぇ…私は何もされてないわ…」
 どうやら、杏奈さんには、傷一つないようだ。よかった…。

 

「おい! 起きろ氷浦!」
 体を揺さぶられて、俺は目を覚ます。目の前には剛陣先輩が。昔の記憶をたどってみる。俺は、昨日の出来事でどっと疲れて、(あと掃除)シャワーも浴びずに寝てしまった。窓の光を見ると、朝になっていた。本来なら気持ちの良い朝なのに、どうにも不吉な予感がする。
「え、剛陣先輩?」
「大変なんだよ! 明日人に、灰崎が…とにかく大変なんだよ!」