屠殺~Prison slave~

屠殺の小説を書きます

陸 逃げ道を辿る

『ごめんね、返信気づかなかった』
 ごめんの可愛らしい猫のスタンプの前に、メッセージが書かれる。それに、俺は思わずクスッと笑う。笑ってはいけないが。俺は今、夕食を食べ終え、少しの自由時間に虹花とメッセージアプリで会話している。虹花は通知に気がつかなかったことに申し訳なさそうに、俺に返信を送る。
『ううん、虹花も忙しいだろ?』
『まぁそうだけど…明日ライブだよ? ちゃんと誘えた?』
『うーん、それはちょっと難しいかな。皆嫌がってたからさ。ごめん』
『そっか…』
 俺は虹花に、四人をライブに誘えなかったことを謝る。
『みんな、名前すら聞きたくないんだって』
『そう…』
『嫌な話をしちゃったな。明日ライブなのに』
『ううん、大丈夫。貴利名だけでもいいから、ライブに来て欲しいな』
『わかった。ライブ楽しみにしてる』
 メッセージを送信し、俺はスマホを閉じる。結局、あの後ライブに行かないかと誘ってみたものの、四人とも行きたくないの一点張りだった。
 机の引き出しの中にある、五枚のチケットのうち四枚は、今日のうちに誰かに渡してしまおう。剛陣先輩に渡したら、喜ぶかな。
 俺は残りの四枚のチケットをジャージのポケットにしまい込み、仲間のうちの誰かにこのチケットを渡そうと、部屋を出る。……それにしても、何だか騒がしいな。いつもはこんな感じじゃないのに。そしてなんだ? この赤いのは…まるで花のように咲いている赤い液体を、俺は辿っていく。
 _______嘘だろ。
 ロビーのところで、西蔭が倒れてる。それも、床に赤い液体を流しながら。そこでようやく俺は、その赤い液体が『血』だということに気づく。
 俺はその場に立ち尽くして、何も動けずにいた。体に力が入らない。足がガクガクしている。ついには、地面に膝をついてしまった。
 どうしよう。助けを呼ばないと。
 でも、体に力が入らない。どうすればいいんだ。
 そ、そうだ。
 虹花に、どうすればいいのかを聞いてみよう。いや、聞いたところでどうするんだ。それに、いきなりこんなことを説明されても、虹花が困るだけだ。でも、俺の手はスマホを取り出していて、立ち上げている所まで入っていた。
 ____そうだ。
 救急車を呼べばいいじゃないか!
 そう考えると、あとは早かった。119と数字を押して、電話をかける。
『あ、病院ですか? 実は、仲間の一人が宿所で倒れてて』
『落ち着いてください。場所、状況を説明してください』
『はい……場所は…』

 


『貴利名…大丈夫?』
 病院の手術室の前の椅子に座って、手術が終わるのを待っていると、事を聞いた虹花がメッセージアプリから心配そうに声をかけた。目の前で仲間が血を流しながら倒れているという事実から、まだ心を受け入れさせることなどできず、俺は指先を震わせながら返信の言葉を入力する。
『あぁ…まだ、怖い』
『……辛かったら、このアルバムに入っている曲を聞いて。辛い気持ちが少しは晴れるかも』
 虹花は、幽玄、と書かれたアルバムを提示し、俺にそれを開くように指示する。それを、震える手でタップし、曲を小さな音量で流す。そこに流れる歌は、悲しげで、儚げで、それでも美しい、色だった。
「氷浦!」
 俺を呼ぶ明日人の声が聞こえて、俺は指先を慌てて曲を停止した。散滅射の曲を流してたら、明日人が嫌がるから。
「あ、明日人…」
「西蔭が倒れたって…」
「あぁ…」
 なんとか明日人に状況を伝えようとするけど、俺の口はこれ以上動かなかった。
「氷浦?」
 突然のことに頭がついていかず、しまいに放心状態になっていた俺の頭に、明日人の声が響く。
「あぁ、ごめん。少しぼーっとしてた」
「本当に大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ」
「とりあえずみんなのところに行こ? 皆西蔭が病院に運ばれたって聞いて来てるんだよ」
 明日人は恐らく、俺を心配しているのだろう。だけど、俺には皆のところには行きたくないという気持ちがあった。西蔭の手術が終わるまで、そばに居たいというのもあったし、何より一人になりたかった。
「氷浦さん、稲森さん」
 俺が明日人の誘いを断ろうとした時だ。後ろのドアが開いて、医者が出てきた
「手術が終わりました。西蔭さんの命に別状はありませんよ」
「良かった…」
 西蔭が無事なことに、俺と明日人は胸を撫で下ろす。
「でも、一体何が…?」
 すると、明日人が何があったのかを俺に尋ねてきた。でも、俺だって知らない。廊下に出たら、いきなり西蔭が倒れていたのだから。
「それは、俺にもわからなくて…」
「まさか、氷浦がやったわけじゃないよね」
「そんなわけないだろ」
 明日人の質問に、俺は冗談のように返す。万が一俺がやったにしても、動機がないだろ。事件は、動機がなきゃ始まらない。まぁ、今のところ事件なんて起きて欲しくないが。

 

 翌日、俺は虹花に言われたとおり、ライブに来ていた。お見舞いは既に行っていた。西蔭が言うに、あまり覚えていないとのことだ。皆はそれを聞いて困惑していた。だって、もし誰かに刺されたなら、顔くらいは見えたはずだ。それなのに、覚えていない。何かがおかしかった。
 ライブはというと、とても楽しかった。今度は光るペンというか、サイリウムを持ってきたから、虹花も俺も、凄く楽しめたと思う。もし、明日人たちと行けたのなら、もっと楽しかっただろうに。何をそんなに散滅射が嫌なのかがわからなかった。
 ライブも終わったところで、俺は虹花に声をかけられた。また、聞き込みだろう。あの四人の。
「あの四人って、おかしいと思わない?」
 最初に虹花が言った言葉は、あの四人はおかしい。とのことだった。何が、おかしいのだろうか。
「何がおかしいんだ?」
 俺が虹花に訊ねてみると、虹花は言う。
「まぁ、あの四人って、おかしいのよ。本来ならあるはずのない個性を、無理やり出している感じ。人間なら、本来持つ個性を活かして、生きていくのにね。まぁ、それが出せない人は、いっぱいいたよ」
「無理やり、か」
 正直、虹花が何を言っているのか、俺には到底理解できない事だった。音楽をやっている人は、みんなこうなのだろうか? いや、虹花だけだ。でも、四人がおかしいって、あいつらはそんなにおかしいようには見えない。だって、あいつらはあいつらだ。
「やっぱり、一番怖いのは何かって言うと、逃げることだよ。いや、逃げてもいいよ? ただ、逃げる方法が違ってたら、もしかしたら道を踏み外すかもしれない。でも、それくらい辛くて、心が逃げたがってる。でも、辛い時って、正常な判断ができなくて、いつの間にか道を踏み外してたりするんだ。ね、怖いでしょ?」
 虹花の長い文章を、俺は耳にする。それが一明日人たちとなんの関係があるのか。
 逃げるって、そんなに怖いことなのか?